2013-03-01

tumblrに移動してます

* http://dzfl.tumblr.com/

ここの記事もある程度コピペりました。はてなスターもあるよ!やったね!tokenの設定とかしてないのに動くあたり最高にキモイけど。

2013-01-13

放課後ヒーロー 1~3巻 読了

読んだ。もらってから2週間近くかけて読みだすとかなんなの。いい加減、コンテンツを溜め込むクセはなんとかした方がいいのではないか。積みゲーとか。積みゲーとか!!!

男子高校生の日常(って書くと何も間違ってないけど別のマンガのタイトルになるのすごいジレンマ)のコメディ漫画。ほのぼのギャグ一辺倒かと思ったら情やらシリアスやら挟んでくるので読み方把握するのちょっと苦労した。

おもしろかった。おもしろかったけど、ネタとして個人的に一番ウケたのが1巻69ページなことに漫画とは関係無く自分のおもしろみ感受アンテナが順調におっさんナイズされてるのが自覚できて死にたくなった。あーゆーのすごくいいと思うのでもっとガンガン入れてけばいいと思う。!!!ガンガンだけに!!!

3巻まで読むとみやびくんの別の顔が知れて、読み直した時また違う読み方ができてお得だと思います。お得ってなんだ。主人公この子じゃねーの?!

んで放課後ヒーローからはちょっとずれる感想。
プリクラ屋のお姉さんとかきのこ君と記念撮影のお姉さんとか、こう、たまに、たまーに感じる、男子の世界に女子はいるのに女子の世界に男子がいない的な空気が自分にはわりと面白いのかもしれない(この表現が誰かに伝わる気が一切しない)。
なんだろう、男の子の世界には「わ、女の人だ(ドキドキ)」的な感情があるのに、女の子的には「わー男の子だかわいー」みたいな。愛玩動物がかわいいことしてるの見てかわいーみたいな。
つけまつ毛という課題を与えられてなんとかしてオチを探す男の子。女の子文化に翻弄される男の子達とかおもしろい気がする。さじかげん間違うと読者の野郎共が男卑だと暴れそうだけど。女の子文化とか男の子にしちゃ基本的に未知だし純粋な興味からの面白みもあるしね。
興味本位で妹のソックタッチを広範囲に塗って馬鹿にされた上、ひとの私物を勝手に使うな&すね毛の上から塗ってキモイ&外出ないくせにいらんやろ&もろもろキモイという罰でミドルキックを頂戴したのを思い出した。ソックタッチは女の子文化という訳でもないか……?まぁいいや。

作者さんの描く女の子キャラはあんまり媚びを感じずかわいいので好き。
女の子の出番もうちょっと増えませんかね。
具体的にはまほまほとか。
まほまほとか出番増えませんかね!
一心不乱の大まほまほを!

まとまりませんね。そんな感じ。

※備考
https://twitter.com/dzfl/statuses/9978258258919424
https://twitter.com/dzfl/statuses/132115420474904576

2013-01-05

絶対移動中 vol.12 リアクション2回目 読了

漫画の同人誌は読んだことあるけど、文芸同人誌は初めてなのでそれ自体が新鮮だった。

書店に並ぶ本やら雑誌やらプロの文章以外、素人に属する文章などはネットに転がる読み辛いSSやらキャラ崩壊してるSSをいくつか目にした事がある程度で、あと高校生の文芸部の会誌とか、なのでどんなものかと思っていたけど存外面白く存外読みやすくすごいなぁと。
いや、それぞれの著者の詳細は存じないのでプロの方とかいるのかもだけど、どれも読む行為に苦労は無かったしどれも充分に面白さがあったし、単純に界隈のレベルをあなどっていましたという。かっこいいなあと。

「過去に発行された同人誌に勝手にリアクションした作品」と「リアクションをテーマにした作品」という事らしい。前者はいわゆる同人誌と聞いて想像する同人活動の有り様そのもので、改めて意識して行うのは面白いと思った。リアクション元のある作品は、 読語に元作品を読みたくならせれば書き手にとって一つの勝ちと言えるのだろう。大勝してはる。

同人誌の面白さというか多種多様な作品/作者がそこに詰め込まれている面白さはいいね。例えばまさか翻訳という行為の面白さを認識させられとは思わなかったし、エッセイだったり何だったりおもちゃ箱的な楽しさは同人誌ならではなのだろうなあ。その分、振り回されるので一度に読み切るのは疲れるので休み休みになってしまったけれど。

後、関係無いけど、あくまで個人の集合の元で立派な"本"が製造されてるのを手に取って感じると妙な感慨がある。今回の同人誌に限らずどんな同人誌でも。なんだろうこれ。

はーおもしろかった。夏目漱石読んだ後は書生ぶりたがる私です。多分しばらくは文系気取った喋りになると思われる。

2013-01-02

2012-12-29

「放課後ヒーロー」単行本をギフトもらた!


前記事のミルクティーの人だった!ありがとう誰だよ!

放課後ヒーロー』(ほうかごヒーロー)は、ウダノゾミによる、日本の漫画作品。『月刊Gファンタジー』(スクウェア・エニックス)にて連載されている。既刊3巻。(Wikipedia:放課後ヒーロー)
ウダノゾミさんは存じませんが作品がツイッターで話題になってたので気になってた。お正月にお布団で読むねんーごろごろ読むねんー。

※備考
https://twitter.com/dzfl/status/284908280231391232
https://twitter.com/8kaichi/status/284908877072449537

2012-12-28

クリプレミルクティーもらた!

ギフト!
誰からかわからん!本名っぽいもの銘記されてるけど真剣に誰だかわかんね! 本名に個人識別能力はなくなりました。時代的に。ふふーふ。

ありがとうございます!

なんかもらったブログと化している。

2012-11-25

ツイッターについて

ツイッターアカウント運用について書きなぐり。
  • フォローしたければフォローするし見たけなければフォロー外すしうざければブロックする。
  • フォローしたければフォローすればいいし見たけなければフォロー外せばいいしうざければブロックすればいい。
  • TLをリアルタイムで監視してるわけじゃないので見てないツイートは見てない。
  • 確実に伝えたいならメンション、ダイレクトメッセージを用いてくれ。
  • 他者との絡みかたは、ツイート(ネタ)を基準にしている。
  • ユーザー主体ではなくツイートを主体に見てるので、よほど近しい/古い知り合いとかでなければツイートに対する絡みしかしない。
  • 絡むツイートの基準は明確ではない。強いて言えば面白いかどうかくらいで、気分次第。
  • 面白さを感じなくてもメンションで話しかけられれば返す。面倒を感じる事とかは(天気の話が延々続くとかでない限り)ない。
  • ネタツイートや質問とか、意図の無いアクションをこちらから取ることはない。
  • 実際、身内/ほぼ身内のアカウントなどにも優しくなどしない。
  • 親しいほど雑に扱うのはB型の特徴ってネットで見た(血液型診断は死ね)
  • ツイッターは「個人活動の延長上で他者と交わる事が出来る」くらいのイメージなので、"誰か"を前提にしたアカウントには自分は興味がない(そういう利用は否定しない)。
  • 不特定多数のツイートが流れてる中で、興味を引くツイートがあれば絡むし、興味を引かなければ何もしない。
  • ツイッター上で特定の個人を特別優しく扱ったりなど、特別意識して接する事はない。そうしたつもりもない。
  • フォローアカウントに対する感情は一律ほぼフラットで、特に仲の良い相手とそうでない相手でも接し方は変わらないし変えない。また変えた記憶は無い。
  • 誕生日プレゼントくれたりする人も多数いたが、だからといって丁寧に接するとか機嫌を取るといった事もしない、したつもりはない(お礼や、冗談めかしたおねだりなんかはあるけども)。
  • 感謝しないという意味ではなく、接し方を変える事はないと言いたい。
  • エアリプについてはネタの共有的な意味合いが大きい。
  • 誰かのツイートというネタに対し、"誰か"に投げたい場合はメンションになるが、"ツイート/ネタ"を"場"に共有したい場合などエアリプになりがち。
  • エアリプはTLを共有する第三者の目を意識してる気がする(共通の友人が明らに見ている事が解っているなど)。
  • 自分の感覚で誰に対して扱い、接し方を変えたつもりは全くないので、以前と変わったなど言われても自覚が無いのでどうしようもない。
  • 性別を偽る気はない(あやふやにぼかす気はある)。

色々書いたが厳格に意識して運用してないし大体気分で変わる。気分運用である。

2012-11-14

いかにシェイクがあまくてうまいかという話

アイスをね、アイスクリームをもろたんですよ。そう、アイス。愛すべきアイス。



こんな感じで。バニラアイス2L。
素敵やん?
まぁそれでや。多分、君ら、アイスもろたらアイス食べるやろ。そらそうや。アイスやもん。アイス食べるわな。
でもちゃうねん。アイスもあまくてうまいねんで、でもちゃうねん。アイスな、牛乳と混ぜるとな、シェイクになんねん。まじやで。
君らシェイクなんかマクドとかモスでしか食べられへん思てるやろ。ちゃうねん。アイスと牛乳あったらな、それもうシェイクやねん。まじやで。

なんて?信じられへんて?ほなな、証拠見したる。これや。
どや。これおっちゃんが作ったシェイクやで。instagram加工のせいでようわからんやろ。おっちゃんも失敗した気がしてる。せやけどこれホンマのシェイクやで。

作り方とかめっちゃ簡単やねんで。コップにな、アイスをガーッて詰めるやろ。適当でええで。ほんでな、牛乳もそそぐねん。牛乳の量でシャバシャバ度変わるさかいな、様子見つつやで。
ほしたらスプーンとかで混ぜんねん。こんなもんかなー?思たらストロー挿してしまいや。
どや。めっちゃ簡単やろ。若い子の言うウケルーゆうやっちゃな。ウケルー。

ただ溶けただけのアイスやない、牛乳でいい感じに液体っぽくなったアイスが、けど甘みとかが薄れたわけやない、まさに飲むアイスな、あまくてうまいシェイクや。最高や!

ほんでな、ビビったらあかんで。これこんな簡単やろ、せやからな、好き勝手にアレンジできるんや。アレンジアロンゾや、アレンジレンジや。ウケルー。

 これは牛乳の変わりにミルクティーで混ぜたミルクティーシェイクや。バニラの甘みとミルクティーの甘みがダブルで甘くて甘すぎや。最高や。あまくてうまいで。

これは牛乳とインスタントコーヒー少量で混ぜたコーヒーシェイクや。まんま店で飲む味や。あまくてうまい中にほろ苦い大人の味があまくてうまいで。

どや、どれもこれもinstagram加工のせいで違い全然わからんやろ。おっちゃんも失敗した気がしてる。ほんまかなんわ。ウケルー。

アイスが2Lあったらまぁ10杯前後くらいちゃうかな。知らんけど。一日に何杯も飲まんねやったらけっこう保つと思うわ。知らんけど。

もちろんな、アイスをアイスのままで食べるんもええで。アイスあまくてうまいしな。でもな、シェイクも出来るんやでゆーことをな、一回でも実践して身につけとくとな、こう、人生に幅ができるんや。友だちとか親戚の子とかにな、「おっちゃんシェイク作れるねんで」とか言えるわけや。だからなんやねん。お前自慢するためにシェイク作るんか、ちゃうやろ。シェイクはあまくてうまい幸せを得るためにあるんやろ。しょうもない自尊心の種にシェイクを使うなや。ええかげんにしときやホンマ。何言いだすねん、こわいわー。

そんな感じや。おっちゃん話の着地点、見失のうてるけど気にしなや。
自分らも機会があったらシェイクやってみーゆう話や。簡単やしな。
シェイクあまくてうまいで。ほなな。

2012-11-06

奥瀬サキ / コックリさんが通る 感想

誕生日プレゼントにもらった漫画の感想、を二月近くかけてから書くというプレゼントなどの贈り甲斐の無さよ。

単行本1巻が1996年発行と古いので作品の時代設定も沿って古い、という事に気付くまで現在作品を読む気持ちで読んでたので違和感があったが、解ってからは90年代の感覚で読むように。つっても大層な事ではなく連絡手段がポケベルだったりする事を当然に思う、みたいな事だが。

数を読まないから単に無知なだけなのだけど、この時代にこういう伝奇物(って言うの?)がフォーマットも整ってる状態で有ったんだと驚く。那須きのこが名前出てきたくらいからだと漠然と思ってたけど。あぁでも空の境界も同時期か。

厨二患者とか設定厨(ひどい言葉の選択だ)とかには大ウケしそうなのにそうでもないっぽいのはなんだろう。大作感が無いからかなーとか思ったり。各話の独立性が高い、全編通して一つの大きなストーリーが展開されるみたいな、がなく、最終話読み終えた時も「これでおしまい?」と感じた。なんというか勿体無いなーと。キャラもストーリーも世界観もユーモアも画力もオタウケポイントも一通りが水準以上にあると思うから、ガッツリいけばいいのにみたいな。それが良いとは限らんけども。

なんかくさしてるみたいだけど面白かった。社会の暗部だとか心の闇とか扱いつつでもあくまでそれらは材料で作品を乗っ取られたりはしてない、こう、明るく暗いみたいな、暗いけど明るいみたいな雰囲気好き。

今一つ入り込めなかったのはストーリーテラー?主役?とか演出上で感情を同調させてくれる描き方じゃないからかな。ずっと神の視点っぽい感ある。わたし自分から読みに没するの苦手なのでいざなってもらわないとなかなか入れないから。

なんか文句しか言ってない気がするけどそうじゃなく。とにもかくにももったいないって気持ちが一番だ。もっとやってよ!ってなる。もっと昂らせてよ!この作品なら絶対できるじゃん!みたいな。もっと食わせろ!って感じ。

うむ、散文だ。以上~。
おもしろかった!鳥さんありがとう!

2012-09-26

承認欲求とかそんな感じの

評価されるというのは単純に嬉しいもので。それはもう前提としてありますが。それはそれとして自分語りです。

"私を"好意的に評価してくださる方の気が知れない。

面白いとかファンだとかウケるとか、褒められる機会が少なく慣れていなくて、また少ないながらでも存在し、慣れていない故に理解ができない。私に評価できる点なぞあるのかと。

何かを創作し、私の手を一旦離れたものに対する評価ならいくらでも理解できるが、私自信を指しての評価はどうも理解できない。あー、悪評であれば理解する。嫌になるほどできる。なので理解できないのは好評についてだ。

私自信が自己評価がとても低いせいかと思っている。客観的に見て、社会的立場は最悪だ。人格はどうか、人格がろくなもんじゃないからこんな社会的立場なのだろう。

なんというか、「どうせ私なんて駄目な人間だ」といじけて言うのではなく、受け入れ認めた上で駄目人間だと自己評価しているので、そんな人間を指して好評価があるというのは、どうにも座りが悪い。

"面白い"と知人に言われれば、特に面白くはないだろ、もっと面白いのいっぱいいるだろと思うし。 "ファンだ"と言われれば、何の?!だと思うし。女子大生に"モテるでしょ・昔モテたはず!"とかマジくさく言われれば(嬉しゅうございました)、世辞を使いこなす大人だとか、嫌味かとか思うし。

なんというか、筋の通った論理無しには他者からの高評価は受け入れられない、と構えているのが私。自分に対して卑屈が過ぎるのか、他人に対して猜疑が強いのか両方か。

この文章も求めているのはきっと、最低なんかじゃないよと、褒めてほしいチヤホヤしてほしい承認欲求とかなんとかを満たしてほしい、そんな欲は間違いなく有るのだろう。
理解できないという気持ちとそれを表しておきたい気持ちももちろんあるのだが。

褒められてただ嬉しいと思えるようにできていないのは、私は何を間違えているんだろう。